
サウンド・マーケティングの力:映画と現実をつなぐエンジン音
1968年に公開された映画『Bullitt ブリット』。スティーブ・マックイーンがフォード・マスタングを操り、サンフランシスコの街を疾走するカーチェイスは、映画史に残る名場面として語り継がれています。観客を熱狂させたのは、映像だけではありません。独特のエンジン音も重要な要素でした。
2008年、フォード社はこの伝説を現代に蘇らせるべく、記念モデル「Mustang Bullitt」を開発しました。映画の世界観を「音」で再現しようとしたのです。ここに、サウンド・マーケティングの真髄が表れています。
👉実際の音と映画の音を比較した動画を用意しています。https://youtu.be/TZS8banru34
映画の世界観を「音」で再現する
2008年モデル Mustang Bullitt のサウンドデザインを担当したのは、フォード社 NVH(Noise, Vibration, Harshness)エンジニアのショーン・カーニー氏です。Joel Beckerman の著書 The Sound Boom (2013)によれば、彼は次のような課題に直面しました。
- 車体構造の違い
2001年にも Bullitt モデルは存在しましたが、2008年版は構造が大きく異なり、音作りを一からやり直す必要がありました。 - 騒音規制
映画さながらの爆音をそのまま再現することは法律的に不可能。規制を守りつつ、迫力を表現する工夫が求められました。 - 映画音と現実音の違い
実は、映画『Bullitt』で聞こえる低音のランブル感は実車音ではなく、映画音響技師が作り上げた“擬似音”。カーニー氏はコピーするのではなく、映画を観たときに湧き起こる感情を音で再現しようとしました。 彼はこう語っています(The Sound Boom)より引用:
「あの映画はローリング・ストーンズの楽曲みたいなもの。オリジナルは作れないけれど、カバー曲なら素敵な作品を作れる。」
つまり、彼の挑戦は「カバー曲としてのエンジン音」を創ることだったのです。
オーナーズクラブを熱狂させたサウンド
完成した Mustang Bullitt のサウンドは、ファンを熱狂させました。国際 Mustang Bullitt オーナーズクラブのメンバーの声を Beckerman は紹介しています。
(要点を意訳)「販売店で運転席に座り、エンジンをかけた瞬間にぶっ飛んだ。『これだ!』と思ったんだ。」
(要点を意訳)「現代のクルマで昔のV8のように響くものは滅多にない。でもこいつは間違いなく映画で見たMustangを思い出させてくれる。」
まさに、音が人を映画の世界に引き戻した瞬間でした。
日本とアメリカ ― 音の好みの違い
ただし、このような低音の響きは日本では必ずしも歓迎されません。文化的な背景が大きな違いを生んでいます。例えば、ハーレーダビッドソンの特徴的な低音。ある音楽家はこう語っていました。
「あの音はアメリカンバイソンの群れの移動とつながっている。広大な土地を駆け抜ける体験そのものなんだ。」
アメリカの大地と文化に根ざした「音の美学」。それがマスタングやハーレーの重低音に込められているのです。

サウンド・マーケティングの本質
Mustang Bullitt の事例から見えてくるのは、サウンド・マーケティングの本質です。
- 単なる音のコピーではなく、感情や世界観を再現すること。
- 文化的背景を踏まえて、市場ごとに異なる響きをデザインすること。
音は文化を映す鏡であり、人を体験へと導く強力な手段です。映画の世界を現実に引き込み、人の心を動かす――サウンドの力がそこにあります。
参考文献
Beckerman, Joel. The Sound Boom: How Sound Transforms the Way We Think, Feel, and Buy. Mariner Books, 2013.
体験してみよう
文章だけでなく、自分の耳で確かめてみてください。映画『Bullitt』のサウンドと 2008年モデルの Mustang Bullitt のサウンドを比較した動画を用意しました。